[English version in preparation]【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!ーやまざきたかゆきさんの場合ー


どうも!カーデザインアカデミーです。   お待たせしました! カーデザイナーを志す人に、少しでも情報を届けたい!ということで始まった 現役のカーデザイナーに会ってきたシリーズ第3弾!   どうやって、カーデザイナーになっていいか、情報があまりにも少ないですからね。 参考になる人が少しでもいればうれしいです!   ということで、前回インタビューをさせて頂いた カーデザイナー根津孝太さんからのご紹介。   前回記事はこちら↓ 現役のカーデザイナーに会ってきた!—ツナグデザイン根津孝太さんの場合-   今回は、Honda在職中にApeやZOOMERのデザインを手がけたプロダクトデザイナー やまざきたかゆきさんです!   若者に特化した商品開発を得意としており、ビックスクーターブームでは、商品の コンセプトはもちろん、カスタマイズ提案まで幅広く活躍。   ブームの立役者とも言われております!   また、在職中にproduct_cというアクセサリーブランドを立ちあげ、ディズニー映画 挿入歌のMVでAKB48が装着し話題となるなど、DJ、VJをはじめとするアーティストが 愛用し、メディアでの露出も多数!   そんな異彩を放つプロダクトデザイナーから、カーデザイナーを目指す方々への アドバイスも頂いてきましたのでお楽しみに!  

現役のカーデザイナーに会ってきた!ーやまざきたかゆきさんの場合ー

やまざきたかゆき

やまざきたかゆき(山崎 隆之)=1972年、長野県上田市生まれ。1993年、長野県立上田千曲高等学校電子機械科卒業。1995年に東京コミュニケーションアート専門学校(以下、TCA)卒業後、株式会社本田技術研究所に入社。若者に特化した商品開発を得意とし「Ape」や「ZOOMER」のコンセプト、デザインを担当。個人の活動として、アクセサリーブランドproduct_cを主催。近年では、若者向け原付スクーター「GIORNO」。42th東京モーターショーショーモデル「motor compo」は世界各国で注目を集めた。2012年、同社を退職しプロダクトデザイナーとして独立。2013年よりBMSKコンサルティング(場面思考研究所株式会社)に上席主任研究員として所属し、コンサルタントとしても活躍中。

 

乗り物との出会い

  父がバイク好きで、Hondaに乗ってました。   1歳くらいの頃だと思います。 毎朝、父が仕事に行く前に“一周”っていう儀式みたいなものがありまして。 長野の城下町で生まれ育ったんですが、おぶり紐で背中に括りつけられてお堀の周りを バイクで一周するんです。   その頃から、内燃機とか機械的なものが好きになっていったと思います。 親戚一同クルマ好きが多くてっていうのもあるのかもしれません。   当時、一番気に入ってたのがスバル360。独特の音がするんですよ。 何故か僕はそれを“エンジン”と呼んでました。 それに乗ってる親戚のおじさんがくると「エンジン!エンジン!」と言いながら、 ボンネット開けさせてエンジンを見せてもらうっていうことをやってたみたいです。   とにかくスバルが好きでした。 見た目も可愛らしくて、エンジン音とかも独特な生きているような感じがして。 スバル360 スバル360=富士重工業(スバル)が開発した軽自動車。1958年から1970年までのべ12年間に渡り、約39万2,000台が生産された。そのかわいい姿から「てんとう虫」という愛称が与えられ、登場後12年にわたり長く人々に親しまれ続けた。   父親が印刷をやってたので、夏休みになるとバイクに乗せてもらって、会社まで行って 遊んでました。インクの匂いとか輪転機の音とか聞きながら、落ちてるもの拾って くっつけたりして。機械好きでものづくり好きはこの頃からですね。   紙の切れ端とかが簡単に手に入る環境だったので、友達と集まって漫画を描く大会の ようなこともしてました。   当時、Dr.スランプアラレちゃんが流行ったんですけど、鳥山明ってメカとか クルマとか結構凝って描くんですよね。 そのタッチを真似しながらスバルを描いてました。   それをやりながら油粘土でモノコックを作って、ドアを貼り付けて、イス付けて。 クルマを全部作ってました。かっこ良く言うとカースケッチとクレイモデリングですね。   タミヤさんの影響が大きいと思います。プラモデルが良く出来てたじゃないですか。 模型とか買えないんですよ、高くて。だから模型屋行って、中開けて、説明書とか 読みまくって、必死で見て記憶して、家帰って「たしかこうなってたよな〜」とか 言いながら再現するんです。   ちゃんとホイールアーチ作って、サスペンションみたいなのにタイヤをくっつけて。 結構完成度は高かったと思います。   その後、小5くらいでラジコンブームが来たので、近くの高校に潜り込んで オフロードタイプのやつをみんなで走らせたりなんかしてましたね。   同時期にパソコンにもハマりました。NationalのMSXってやつを買ってもらって、 BASICって言語を使ってプログラミングするんです。 自作のゲームを作るのが流行ってたんで、プログラマーになりたかったんですね。   マイコンBASICマガジンっていう本に、ちょっとしたゲームのプログラムが 書いてあるんで、それを打ち込みながら、アレンジしたゲームを友達にさせて 喜んでました。   絵とかプラモデルとかパソコンに加えて、中学校になったら聖飢魔IIにハマるんです。 ハードロック系のバンドを組んで、近くの楽器屋がやってるスタジオに通ってました。 そこにいる地元の兄ちゃんに教えてもらったり、余りの弦とかくれたりなんかして。 その頃の生活は完全にバンドがメイン。   そんなこんなで、高校は勉強しなくても入れて、こっそりバイクの免許が 取れるという噂の千曲高等学校電子機械科に入りました。  

Hondaに入ると決意した高校時代

  最初に乗ったバイクは、友達から2万円で売ってもらったスズキのRG50Γ。 走ってるたんびにどっかしら部品が取れるんです。振動がひどくて。 でも物凄い早かったですけどね。峠ばっかりなんで走る場所はいっぱいある。   当時膝すりが流行ってたんで、膝に空き缶つけて、ツナギ着て攻めてました。 僕が組んだエンジンが一番早い!と噂になって、改造依頼がきてやってあげたり。 プラモデルで培った技術を活かして、全部タミヤカラーに塗装したり、 カッティングシートを切って貼ってデザインして。   クオリティーはめちゃくちゃ高かったですよ。もちろん中もイジってました。 台所にエンジン置いて、エンジン全部バラして、この方が早いはずだ!とか言いながら 組んでいく。   終わるまで気になって寝れないから徹夜です。 バイク屋に通って教えてもらったり、改造のバイク雑誌を読みあさってやっていくと 予想通りめちゃくちゃ早いのが出来上がるんですよ。   それが気持ちよくて。ひとりチューニングショップみたいな感じですよね。   どんどん趣味が増えていく。   バイクと並行して、絵を描いたりプラモデルとかパソコンやったり、バンドも してたんで、勉強ができてなかったですね。   朝までエンジン触ってるんで、学校は寝る場所と決めてずっと寝てました。 自分のやりたい勉強だけは起きてやるんですけど、それ以外は全て寝る。 テストでは100点か0点かみたいな感じですよね。   RG50Γ スズキRG50Γ=原付クラスの定番ロードスポーツとしてファンに親しまれていた。原付クラスとは思えない豪華な造りが特徴。   ファッションにもハマってたんで、学生服を自分でデザインして裾をすぼめたりして オリジナルのやつを作って、怖い先輩に呼び出されてシメられたこともありました。   いま話してて思ったんですけど、絵に描いたような不良学生ですね笑   その頃はまだデザイナーになりたいとは思ってなかったですね。 どっちかというとバンドやって、音楽で食っていくか、クルマのカスタム屋さんで チューナーとして働きたいと思ってました。   そうこうしてるうちに卒業が近づいてきて、進路指導があったんですよ。 将来なにやりたいか考えてたらやりたいことが色々出てきたんですね。   バンドやりたいっていうのもあったし、絵も描きたいから漫画家やイラストレーターも いいなと思ってたし、ファッションデザイナーも捨てられないし、レーサーもいいな、 チューナーになってイジる方もいいな、Hondaにも行ってみたいなって。   それで、一番ハードルが高いところから攻めよう、と思ったんですね。   例えば、バンドはバンドやってます、って言い切ればやってるもんだし ライブハウスにも出れる。   そんな感じで色々考えたらHondaに入るのが一番大変そうだって結論になった。 親も喜びそうだし。   それで、色々本屋で調べてたら、美大に行かないといけないって事が分かったんですけど、 お金も無いし、そもそもデッサンとかやってないし無理だろうと。   そんなときにTCAっていう学校に、オートバイデザインがあるってことを知って。 Hondaに入った人も多かったのと、Hondaの講師がいたり、Hondaとのプロジェクトも やってたんで、TCAに行こうと決めました。   願書を書くから取り寄せてって親に頼んだら「あんた締切過ぎてるよ!」って言われて。 体験入学から試験から全部過ぎてた笑   TCA カーデザイン 東京コミュニケーションアート専門学校=略称、TCA。カーデザインを学ぶ4年制の自動車デザイン科は長い歴史を有し、卒業生の多くがトヨタ、日産自動車、Hondaなどの大手自動車メーカーの研究開発デザイン部門への就職を実現している、日本屈指のカーデザイナーを輩出する専門学校。  

TCA時代について

  そのとき、お金も無いんでバイク買うために地元のピザ屋でバイトをしてたんですよ。 チェーン店じゃない、自分たちで作ってるようなピザ屋です。   配達でバイクもクルマも乗れるし、ピザ作るのも好きだったんで、学費を稼ぐために 1年ちゃんと働こう、と思ってピザ屋に就職しました。   働いてると段々このままピザ屋でもいいかな〜と思ってきたんですよ。 ピザを頭の上でクルクル回せるくらいに上達したし、そこの女性店長と付き合っちゃっ たっていうのもあって、この人と一緒ならいいかな〜って。   でもその人が急に僕を振るんですよ。「あんたなんか嫌い」って。   悔しいですよね。 よし、そんじゃあ見返してやろうと思って東京に出る決意をしたんです。   でもお金もそんなに貯まってないしどうしようかと思ってた夏の日の夜。   バイト終わってバイクで国道を走ってたら脇道からいきなり車が出てきて 止まれなくてぶつかっちゃいまして。   血だらけになりながらウ〜ンなんて唸ってたら、その車に乗ってたおじさんが   「大丈夫か!救急車呼んでくる!」って言ってそのまま逃げちゃった。   足とか折れてたんで入院してたら、そのおじさんが捕まったんです。 申し訳なかったってことで慰謝料を頂けたんですけど、それとバイト代を足したら いい感じに入学資金になったんで無事TCAに入ることが出来ました笑   1992年にTCAに入ったんですけど、当時カーデザインが流行ってたんで 120〜130名くらいいました。今では考えられないですよね。   あと、絵のうまい人も多かったです。もう手の届かないくらい上手い。   その時から、自分の勝ち技は絵じゃないな、って風に思ってました。 描いてる人って半端じゃないんですよ。朝から晩までずーーっと描いてる。   僕はバイクにも乗らなきゃいけないし、女の子とも遊びたいし、お酒も飲みたいし、 そんなに書き続けることは出来ないな、と思ったんですよ。   そこで勝とうとするって相当無理な話じゃないですか。 先生からも「お前は描かないタイプだ!」なんて言われてたんで。   ただ、面白いことを考えるタイプだって事も言われてたので、コンセプトワークの方を 太らせようと思ってそこに焦点を当てて伸ばしていきました。   他の人がやっていることは絶対にやらない、と決めて。   学生なんで、結構右に倣えになっちゃうんですよ。 でもそれやっちゃうと結局絵の上手い人には勝てない。   勝てないって思った時点で追っかける側になっちゃうじゃないですか。 勝つためには自分の土俵で戦わないといけないんですよ。   なんでそういう考え方を持ったかっていうと、中学の陸上部時代が関係してます。 100メートルやってたんですけど、どうも勝てそうにないって分かっちゃったんで 110メートルハードルにしたんです。   そしたら県大会直前くらいまではいけて、部長にもなれたんですよ。 そのロジックもあり、混んでるとこには行かない、空いてるとこで勝負っていう。   自分を客観的に見て、練習量も情熱もそこまで無いっていうのが分かってたんですね。 でも、負けず嫌いだったし、集中力や頑張る力みたいなものは、好きな事に関しては あったんで、勝てる勝負をするために、ってことを徹底的に考えました。   当時は、コンセプトの方に重きをおいている人は少なくて、描けない人はどんどん ドロップアウトしていきましたね。   7割くらいは学校に来なくなっちゃったんじゃないですかね。 バブルが弾けた後だったんで、募集も本当に少なくて就職が難しくなった時代ですから。   2年次に産学協同プロジェクトでHondaが来たんですよ。 3ヶ月くらいのプロジェクト。半年だったかな? そこで、絶対にトップをとらないとアウトだな、と思って挑みました。 その期間は人生で一番気合いれて頑張りました。   コンセプトワークがあって、デザインして、プロダクトを作るっていう流れだったん ですけど、それぞれで優秀な作品が3台づつ選出されるんですね。   たしかテーマは「10年後のスーパースポーツを考えなさい」みたいな感じだったと 思います。当時は走りに徹してるのってレーサーレプリカしかなかったんで、街に 馴染みにくかった。   僕が考えたのが、街に馴染む、お洒落なレーサーレプリカじゃない、レーサー的な 性能を持ったバイク。   それで、ボディーのプロテクションみたいな部品がアクセントになって、転んでも それを変えれば大丈夫っていうテーマで作りました。   コンセプトを死ぬほど考えて、絶対にこれなら勝てると思って当時のデザイン部長に プレゼンしたら1番取れたんですよね。   そのあと、デザインワークで、中々うまく描けなかったんですけどHondaの現役 デザイナーから教えてもらいながら、ちょっと上手くなってきて。     次は、モデラーの学生とチームを組んで、仕上げるんですけど、そんな大事な時期に 気晴らしに友達から買ったばかりの400ccのレーサーレプリカで湾岸に走りに行ったんですよ。   それで気持ちよく颯爽と走っていたら、急に出てきたタクシーにオカマ 掘っちゃいまして。あまりの衝撃で体がクルマの下に潜り込んじゃって、 タイヤに足が巻き込まれながらしばらく引きずられちゃいました。   即救急車です。   だから最後のモデリングの時は、Hondaの人もモデラーもみんな立ってるのに 僕だけ偉そうに座りながら指示してました。   僕は人生の大事な時期に事故るんですよ。   そんなこともあったんですけど、最終的にHondaからの評価はとても高くて、学校の方も 気に入ってくれてモーターサイクルショーに僕が作った作品を出してくれました。   そこに取材に来てたバリバリマシンっていう走り屋系の雑誌が、大きく取り上げて くれたのが嬉しかったですね。   そのHondaとの産学協同プロジェクトで評価の良かった先輩が内定をもらってたので、 僕も期待してました。   でも、いざ就職試験の募集がきたら、TCAにはモデラーの募集しかこなかったんですよ。   俺の人生終ったも同然だって思いました。 こんなんじゃあ田舎にも帰れない笑   先生に相談したら 「こうゆうのはデザイン室だけじゃなくて総務が決めるからしょうがないんだよね」 って言われて。   プロジェクトの時にデザイン室のマネージャーの名刺を頂いてたんで、 「学校さえマズくなければ直接電話してみたいんですけど…」 って食い下がったら、先生が俺がかけてやるって言って電話してくれました。   募集来てないのは分かってるんですけど、受かる受かんない関係なく評価外でもいいん で実習だけ、体験っていう形で受けさせてもらえませんか?ってとりあってくれて。   そしたらそのマネージャーが総務と掛けあってくれて奇跡的に何とか参加できることに なったんですよ。   産学協同プロジェクトで作った作品も、持ってこなくていいよ、って言われてたんです けど汚いワンボックスに積んで就職試験に持って行きました。   他の皆は、ポートフォリオとか持ってきてたんですけど、僕だけ 「バイクはどこ置けばいいですかー!?」 とかってワンボックスから降ろして。   他の学生は完全に引いてました。   クオリティー高い、とかって皆言ってるんですけど当たり前です、 Hondaのプロの方の手が入ってるんで笑   でも、僕はそもそも枠が無い中、参加したので受かるとも思ってなくて、 出落ちくらいに捉えてました。   実習は徹夜でひたすら絵を描いて、上手な人の順に内定がでるって、 先輩から聞いてたので絶対に無理だと。   そしたら、あまりにも徹夜をさせすぎてHondaの総務的に問題になったかなんかで、 今年から徹夜禁止でちゃんと8時間で終わるように進める、って言われたんです。   しかも今回はバイクの絵を描きません、って言うんですよ。 完全にこっちに風が吹いてきたと思いました。   それぞれ色んなテーマがあって、それをこなして下さい、っていう感じです。 「機能的なゴミ箱を考えてください。」 「“フォルム”という商品があったとしたらどんなパッケージやロゴでしょうか? その商品も考えて下さい」   みたいな感じだったと思います。   そんなテーマだったんで、絶対に笑えるようなやつとか、皆がビビるようなやつとか 考えてやろう、面白がってやろうと思って一生懸命やりました。   あーいい思い出だった、と思って実習が終わりました。1週間くらいだったと思います。   2名しか受からないって聞いてたし、有名美大の人達ばっかりで、ポートフォリオを 見たらめちゃくちゃ上手かったので、まさか受かるとは思ってなかったんですけど… 受かったんですよ。   先生に報告したら、この課題でこれだけのネタ出してたらそりゃ勝つわ、って ドヤ顔で言われて。 アイデアの展開力とかデザイン力とか凄い良いよ、得意な領域で良かったね、って。   その年のHonda内定者は、デザイナーが僕と桑沢デザイン研究所の女の子で、 モデラーは僕が大破させてしまったバイクを売ってくれたTCAの友達でした。   バリバリマシン バリバリマシン=平和出版株式会社より発行されていた二輪車のローリング族を対象に特化したオートバイ雑誌。“バリマシ”もしくは“BBM”と省略されて表現される事もある。   桑沢デザイン研究所=バウハウス思想を継承した日本で最初のデザイン教育機関としても知られている。カーデザインやプロダクトデザインの授業も充実しているため、プロダクトデザイナーやカーデザイナーも多数輩出している。 参考 http://www.kds.ac.jp/    

Honda時代

  Hondaに入ったら、僕の時代は、まず他の部署に行かされるんです。 デザインブロック、研究ブロック、テストブロックっていうのが分かれてて。   要はデザイン屋さん、設計屋さん、乗り屋さん、ですよね。 デザイン以外のところに1〜2週間ずつ丁稚奉公みたいな感じで行かされて、 仕事の流れを教えてもらうんですね。   テストコース行って、テストライダーの後ろに乗っけられて300キロ出されて、どや!みたいな。   テストコースは革ツナギが制服なので、持ってない人は借りてこい、っていう感じ なんですけど、僕は峠小僧だったので、かなり気合の入った自前のボロボロのやつを 着て行ってら、テストブロックの人達の目の色が変わるんですよ。   「お前、やるな!走れるやつだな!デザイン室は走れねえやつばっかりなんだよ!」って笑   膝とかバリバリ擦れてるし、転び傷とかいっぱいあるんでウケるだろうな、ってのは あったんですけど思いのほか可愛がってもらえて。 峠小僧やってたのがこんなとこで活きるとは思いませんでしたけど。   後々、連携してくる所なので、非常に勉強になったし、仕事もやりやすくなりましたね。   最初はデザインなんかさせてもらえないんでカラーリングから。 マットメタリックのカラーリングとかやってたんですけど、実は1996年なんですよ。 おそらく世界初だと思います。   4色分解のステッカーで大理石っぽくしたやつを作ったり、初期のi macの時代には スケルトンのやつ作ったりとか。結構、飛び道具的な尖ったことをやってましたね。   そして、その後初めてデザインとしてやったのがApeです。   モンキーって良いんだけど小さすぎてちょっと、こっ恥ずかしい人もいるだろうから でっかいモンキーが欲しいね、ってイメージです。   僕はNSR50で育ったんですけど、12インチのハイグリップタイヤが履けるくらいの サイズ感で、ちゃんと立ったエンジンで普通のが欲しいよね、って。   皆そう言ってたんですけど、出すタイミングも無いし、上からそんな企画が降りてくる わけでもないので、そういうバイクをどこも出して無かったんですよ。   それで、たまたま若者研究っていうプロジェクトが会社で始まったんですけど、 お前が旗振ってなんかやれ、と。   その時に、Apeを考えて、動くモデルで作ってみたら、「やっぱりいいね」なんて 皆ニコニコして言うんですよ。大変だったけど楽しかったですね。 ホンダ エイプ Ape=2001年2月、Honda・Nプロジェクト第1弾として発売された。2002年2月にはエイプ100が追加販売。スタイルはトラッカーともネイキッドとも取れる独特なもの。 ユーザーの多くは若者だが、多くのカスタムを施している中高年ユーザーも存在する。ある種ネイキッドに近いスタイルを生かして、レース仕様にしているユーザーも多く見られる。     その後が、ZOOMERです。   Hondaの中で、海外の研究所のデザイナー達とコミュニケーションを取る、っていう のが年に一回あって。それぞれの国でやるんですけど、日本でやるときに僕がアテンド で選ばれたんです。   日本の若者に特化した商品を考えよう、ってテーマで日本の若者文化といわれるような ところをを周ったり、お寺とか周ったりしながら。   その時にZOOMERのコンセプトが生まれました。   プラスチックってかっこ悪いよね、メットインって便利だけどおばちゃんぽいよね、 みたいな。   当時、若者の間でバックパックが流行ってて、色んな自慢アイテムを見えるように カバンに入れてたんですよ。スケボー挿したりとか、お気に入りのスニーカーを 見えるようにしてたりとか。グレゴリーとかが流行ってた時代ですよね。   そういう人達にメットインて要らないんじゃないか。 彼らたちは自分の持ち物を自慢したいんじゃないのか。   バックパック持ってるんだから、もっとフレキシブルに収納があって、プラスチック じゃなくて、タフで長持ちする道具みたいな相棒がいいんじゃないか、って考えて できたんです。傷ついてもかっこいい、って感じでガードレールにガシャって停める。   性能関係ないんだけどファットタイヤでがっしりと大地をつかむようなバランスで、 丸いライトがついてて、やたらと使えそうな感じってのを意識しました。   使い込めば使い込むほどカッコいい、みたいな。 当時の裏原系の美容師さんとかショップ店員さん使ってくれるといいね、って。   ヤマハにBW’Sってのがあったんですよ。 それもビーチを走るってことで作られたスクーターなんですけどマニアック過ぎて 全然売れてなかったんですね。   それをもっとファットなタイヤにして乗ってる人がかっこよかったんです。 そのこともあったのと、原付って使えなきゃ意味が無いんで、日々の足を かっこ良くする、って作ったんです。   ホンダ ズーマー ZOOMER=2001年6月に発売。先に発売されたApeに続くNプロジェクトの第2弾として登場し、主に個性を主張する若者をターゲットに作られた。発売以来、ネイキッド(スクーター特有のプラスチックカバーがない)スタイルに、前後の極太タイヤや、デュアルヘッドライトを採用した新感覚のデザインが若年層を中心に多大な人気を得ている。   お前面白いからコンセプト作りに4輪のとこ行って来い、って言われて 4輪もやってました。 超先行モデルみたいな感じで発表できないものばっかり作ってましたね。   コンセプトカーにもならないようなもっと未来のものです。 車以外の事で Hondaを楽しくするアイデアとか、一日中考えてました。   その後のHondaが裏原宿に作ったH-FREEっていう、アパレルショップ兼、 リサーチショップのお店とも関わりました。   カスタマイズしたバイクとかを置いて反応みたりして。   ビックスクーターブームがあったんで、僕もカスタムしたビックスクーターに乗って 通いながら、アパレル店員みたいなことをして、ガチのユーザーと仲良くなって ビックスクーターブームに対しての提案を会社側に色々してましたね。   当時僕が乗ってたフュージョンが裏原界隈で神と崇められてて、見る人見る人声掛けてくる。   バンクするところにチタンボルトが入ってて、火花をあげながら曲がるんです。 流行ったんですよこれが。   マッドブラックにピンストライプのデザインなんですけど、結局この仕様の量産車が 出ました。   この辺も幼少期からパラで色々やって他ジャンルのことをインプットしていたことが いい方向に働いて、リアルな感じのものが出来たと思います。 H FREE H-FREE= 2003年4月、原宿キャットストリートにアンテナショップとして登場。若者が多く集まる渋谷〜原宿に拠点を構え、リサーチをする目的で構えられた。   この時期なんですけど、だいぶストレスも溜まってきちゃってました。   要は、自分の作ったものに対して相手がジャッジするってのは当たり前なんだけど、 それが苦痛な場合も多いなぁ、って。   楽しく仕事できるのもあるんですけど、それって相当体力がいるんです。   ApeとかZOOMERとか作るのも、僕が黙ってたら絶対に世にでなかったんですよ。 でも大きな声出して、色んな人を動かして、ギャーギャー言って怒られながらやるのも 疲れるなぁと。全部が全部それじゃあやっていけないですよね。   はいはい、って聞き流すことも必要じゃないですか。   そのときのストレスが結構溜まってて、自分ジャッジでデザインをして不特定多数の人が いいね、って思って買ってくれたらいいよね、って思ってオリジナルのブランド product_cを作りました。   自分がクラブに行くときの服がない、っていうのが一番で、もっと目立ちたい、 光ったら面白そう、アニメみたいな世界観で、かつ、もうちょっとカチッとした 工業製品みたいな服を作りたい、っていうのがあって。   普段の仕事もあるんですけど、基本的には全部パラレルで進めちゃう。   H-FREEの時に仲良くなった人とかを巻き込みながら、いいじゃんいいじゃんって感じで 進めていきました。 product_c product_c= 2007年設立。アクリル、LEDなど、素材の持ち味を活かした、新感覚アクセサリーブランド。シンプルかつインパクトのあるアクセサリーをプロデュースしている。SlipknotやAKB48が装着し、海外美術館で展示されるなど、今後の展開にますます目が離せないブランドである。参考 http://pdc.main.jp/

Hondaという会社

  そうですね。 子供みたいな人がいっぱいいる会社ですかね。 良くも悪くも小学生しかいない、みたいな。   “試す人になろう“っていうコマーシャルあるじゃないですか。 実は僕も出てるんですけど、あれって本当に隠し撮りなんですよ。 そのまんまの世界。ほんとにワイワイ情熱を持ってやってます。   ApeやZOOMERみたいな面白いものが企画としてでちゃえば、皆ワーッと集まってくる。 僕が最後にデザインしたのがMSXなんですけど、その時も皆一斉に集まってきて、 必死で作業やって、ニコニコワクワクしながら 「俺が喧嘩してくるから!」 「じゃあ俺文句いうからそれ止めるフリして!」って悪巧みするんですよね笑   つまんなくなってるとは言われてるかもしれないですけど、Ape系のノリが出たって いう意味ではMSXなんかは久々ですよね。   ガチで早そうなApe作ろうぜって。タイでめちゃくちゃ売れてます。   向こうの若者にはドハマりで、一時期プレミア付いて1万バーツくらいのっかってたみたいです。   「試す人になろう(研究所)」篇= http://youtu.be/52yzUisE8e0    

これからの展望について

  僕、独立したときに肩書きを何にしようかな、って考えてたんです。 product_cでファッションとかもやったりしてるんですけど、やっぱりプロダクト デザイナーの視点っていうのは大事かなと思ってるんです。 プロダクトデザイナーっていうのを軸にはしてるんですけど、でもその前に “スマイルメーカー”っていう肩書きの方がピンと来た。 何をしたいの?って言われた時に、人が喜ぶ。笑顔になる。 そういうお仕事で僕はこれから食って行きたい。そう決めたんです。 そのための手段として、プロダクトデザインの経験があります、っていうくらい でいいかなと。 あとは、幅広く色々とやらせていただくのであれば、僕の今までの仕事を見て頂いて、 僕個人を見て頂いて、お仕事頂ければっていう感じです。 そしてできれば、一本軸でバイクを10台作る、とかっていうことじゃなくて、 例えば、バイクがあって、乗る人がどんな服着て、どんな場所に遊びに行くか。 カフェに行くんだったら、そこにある机や椅子ってどんなもの?かかる音楽って? っていう横軸でやまざきたかゆきデザインていうものを作っていきたいですね。 —今、一番力をいれていることは何ですか?— 作る環境を作りたいですね。 来期、ちゃんと会社を立ち上げようと思ってるんですけど、なんかカフェみたいな感じ でモノとコトを作れるような場所。人が来てコミュニケーション取りながら遊べて、 っていう環境ですよね。工作機械が置いてあって、クリエイター同士でワイワイ 言いながら自由に使えるようなイメージで。 もう一つは、知り合いがクロコアートファクトリーていうところでルーメットっていう シェル型の引っ張れるキャンピングカーを作ってるんですよ。6帖くらいあるやつです。 これを僕のABARTHで引っ張って移動する作業場みたいなものを作っても面白いかなって。 自分の趣味とか、人生とか、価値観を切り売りして面白く生きていけたらいいなって 思うんですよ。 それを見て、笑ってくれる人、あいつ楽しそうだなって集まってくる人がいれば 最高ですよね。

ルーメット

ルーメット=クロコアートファクトリーが販売する、けん引免許を必要としない750キロ以下のトレーラー。卵の殻のような親しみのわくデザインで、軽さと強度も備えている。

参考 http://www.crocoart-factory.co.jp/roomette/    

カーデザイナー(プロダクトデザイナー)を目指す人へのメッセージ

なりたいデザインの専門知識ばかりを学ばないことだと思いますね。

車だったら、ひたすら車に集中してその知識を得るっていうよりは、

他にもっと興味を持って目を向けておいたほうが良い。

嫌でも仕事でしこたまやらされますからね。

僕は幼少期からパラレルで色々やる癖があったおかげで就職試験に受かってHondaに入れた。

自分の得意技をいくつか持っておくっていうのが良いのかなと。

異種格闘技戦みたいなことで言うと、足技・手技・寝技と色々あると思うんですけど、

「コレじゃなかったらこれ!」っていう感じで複数技で勝つ。

1つだけだと上には上がいるんですよね。絵がうまい人は本当に上手い。

僕はそれだけでは勝負できないんですけど、組み合わせると一番なんです。

ギターが弾けて、バイクのエンジンが組めて、プログラミングができて、絵がうまい、

って中では絶対に1番の自信がある。

そういう方向とか土俵に持っていければ、色んなシュチュエーションにマッチする

唯一無二のデザイナーに慣れると思うんですよ。

アウトプットするために、アウトプットの技に集中しがちなんですけどそうじゃない。

アウトプットをするために良質なインプットをいっぱいする。

最初は広く浅くでもいいんですよ。いかに良質なインプットをたくさん得るかに重きを 置くんです。   学生の頃も、他の人が一生懸命絵を描いてテクニックを身につけている中で、 僕は遊びに行って、色んな情報を肌で感じてそれをコンセプトワークに活かしていた。

車があって、その周りに何が起きてるか、その周辺のものも一緒にデザインできる

デザイナーになってほしいなって思います。

これからもっとそういうことが大事になってくると思うんで。

ポイントは自分ならではの良質なインプット。

会ってみたいな、飲みたいなと思わせるデザイナーになってください。

そうなったら…あなたを敵と認識します笑

  やまざきたかゆき    

編集後記

  いかがでしたでしょうか?   「アウトプットを支えるのは、良質なインプット」という言葉がとても印象的でした!   また、非常に狭き門であるカーデザイナーになるために、徹底的に考え抜き、 自分の土俵で勝負することにこだわり抜いたことも、カーデザイナーを志す皆さんの 参考になるのではないでしょうか?   個人的には、あのApeやZOOMERの生まれた背景が聞けて、終始興奮しっぱなしでした! 今度、ルーメットを一緒に見に行ってきますので、またその記事もアップします! お楽しみに!  

お知らせ

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